ミュージックシアター・トランスペアレント

レオシュ・ヤナーチェク/ アネリエス・ファン・パレイス

監督 イヴォ・ヴァン・ホーヴェ


チケット

『消えた男の日記』は歌曲集ですが、そのドラマティックさと演劇性から、舞台公演へ発展させられるような作品のうちの1つです。今回ミュージックシアター・トランスペアレントがこの音楽祭の機会にお届けするのも、劇として展開されます。ベルギーのトップ監督の1人、イヴォ・ファン・ホーヴェが率いる素晴らしいベルギーの劇団による演劇版です。ホーヴェは舞台監督として多くの賞を手にしており、またヨーロッパの有名オペラハウスにおいて最も求められるオペラ監督でもあります。彼が初めてヤナーチェク作品に出会ったのは、オランダ国民オペラ向けに『マクロプロス事件』を上演することになった時でした。彼の『消えた男の日記』の舞台は、ベルギーの女性作曲家、アネリエス・フォン・パリスの音楽性によって更に広がりを見せました。アネリエスの音楽は、ヤナーチェクのひそやかな愛の告白に、独特の色を添えています。

1917年夏、当時63歳だったヤナーチェクは、ルハチョヴィツェでカミラ・シュトスロヴァーに出会いました。若い女性はヤナーチェクの人生最後の大きな恋愛の対象となり、また彼の最高潮期の作品群のインスピレーションの源となりました。彼女の訴えかけるようなまなざしは、その1年前にリドヴェー・ノヴィニ紙から切り取ったコラムを思い出させました。当時知られていない作家による「独学者のペン」と題された詩は、ジプシーの娘ゼフカに恋し、最後には彼女と逃避行に出る村の若者について歌ったもので、ヤナーチェクの目には、カミラがその美しいジプシーの女に重なって見えたのです。ヤナーチェクは2年間、テノール、ソプラノ、女性合唱団とピアノのためのユニークな歌曲集『消えた男の日記』となる、民謡スタイルの22曲からなる曲集の制作に取り組みました。初演が実現したのは、1921年4月18日ブルノのレドゥタ劇場でのことでした。

パトリツィエ・チャーストコヴァー