レオシュ・ヤナーチェク 『小さな女王様たち』
ボフスラフ・マルチヌー 『シュパリチェク-児童合唱団とピアノのための編曲から』
カレル・レイネル 『花で飾られた馬』
フランチシェク・ドマジュリツキー 『児童合唱団と弦楽四重奏のためのチェコ民謡』
ブルノ児童合唱団
指揮者 バレリア・マチャショヴァー
モーツァルトホールでのコンサートは、ブルノ児童合唱団の公演です。この合唱団は2004年からブルノのオペラシーンに欠かせない存在となっています。オペラ公演への定期的な出演以外に、コンサート公演の成功でも有名です。
『小さな女王様たち-民謡を伴う古い民俗儀式舞踊』は、レオシュ・ヤナーチェク(1854年-1928年)が1889年に作曲した魅力的な作品です。この頃は、ヤナーチェクがモラビアの民俗音楽に深い興味を持った初期でした。魅力的な若い女の子達、つまり小さな女王様たちは、春と結びつく最も古い民俗儀式の1つです。1888年、11の歌からなるこの儀式は、民俗文化運動の代表であったルチエ・バケショヴァーの努力により、オジェホヴィツェ・ウ・ブルナにて行われた展覧会の枠組みで紹介されました。ヤナーチェクはバケシュ夫妻と協力して頻繁に仕事をしており、展覧会の直後にオジェホヴィツエの小さな女王様たちの儀式へのピアノ伴奏を作曲しました。儀式は今日でも、その歌謡性と場の美しさで魅力を放っています。しかし、ほかにも小さな女王様達の編曲は存在します。例えば、作曲家で指揮者のカレル・コヴァジョヴィツェもこれを扱いました。
ボフスラフ・マルチヌー(1890年-1959年)にシュパリチェクの作曲をさせたのは、彼の持っていた古いチェコの遊びやわらべ歌への興味でした。チェコの古いわらべ歌を作曲しなおす初めての試みは、自分が指揮していた女性合唱団で行われました。そして1930年のパリで、民俗劇を作曲する考えが浮かびました-これがシュパリチェクです。その時に持っていたのはエルベンのわらべ歌集だけでしたが、その後ボジェナ・ニェムツォヴァーの著書「チェコ児童の移民地」からさらなる案を得ました。しかしそれでも十分ではなく、マルチヌーは古文書の間を探し回り、音楽化するためのマテリアルを作り上げてゆきました。1つ目の作品は聖ドロタの伝説で、1931年に作曲されたものです。この曲から始まって、作品全体が段階的に作られてゆきました。1932年、エルベンの「結婚式のシャツ」の音楽化によって作曲が終了しました。しかしこの部分は最終的にシュパリチェクから外されました。マルチヌーには、民俗劇の舞台化が目的だったためです。作品全体の民俗詩的性格を強調するために、意図的に大変シンプルな手法を取りました。元々、『シュパリチェク』は室内楽として作曲されましたが、1940年に新しく編曲されました。今回のコンサートでは、この作品の中から幾つかがピアノ演奏されます。
カレル・レイネル(1910年-1979年)の『花で飾られた馬』は、ノルベルト・フリードの言葉にのせたソロ、児童合唱、一人芝居とピアノのための、詩、遊び、子供の韻ふみ遊び集です。フリードは教育者としてテレジーンのゲットーにおり、彼の『花で飾られた馬』のアルファベット教本は、チェコ語の教科書の一部として使われていました。カレル・レイネルと共に、子供の勉強と子供らによる舞台公演向けの言葉遊びと歌の一連のテキストを制作しました。子供が教育者と共に生活していた、いわゆるユーゲントハイムでこれらは学ばれ、演じられました。これらの公演の目的は教育的なものではなく、どちらかというと心理的なものでした。このような楽しい劇を演じている間、本意でなくゲットーに住まわされている幼い子供たちがつかの間でも、親族と引き離されていることや、それまでの経験からくるトラウマを忘れられるように願ってのことだったのです。この場で、1943年の12月に『花で飾られた馬』が歌われました。
また、フランチシェク・ドマジュリツキー(1913年-1997年)(本名:タウシグ)は1941年にテレジーンのゲットーに送り込まれ、その後強制収容所に送られました。そして彼もカレル・レイネル同様に幸運にも生き残ったのです。戦争後、プラハのアカデミーで就学し、様々なオーケストラでヴィオラ奏者として活動しました。その一方で、作曲にも携わっています。彼の音楽は調性を基礎とし、大変叙情的なアクセントを伴うメロディーで構成されています。『女声3声あるいは女声・児童合唱、そして弦楽四重奏のためのチェコ民謡、第17番』は1955年に作曲されました。
イジー・ザフラートカ